院長プロフィール

IMG_9923st.jpg

稲垣 真輝(いながき まさてる)

19699月7日生まれ A型 乙女座
私立市川学園高等学校  卒
武蔵野美術大学建築学科 卒

日本武道医学専門学院/武道医学専門科3ヶ年 卒
PAAC(パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会)会員
徒手療法師

ジークンドー・ジャパン元・副代表 / インストラクター
ボックス・フランセーズ・サバット 
第五レベル(イエローグローブ)
葦立剣友会所属 / 剣道四段

TMおよびTMシディ・プログラム終了(第37回シダー)
 

私が治療家になった理由

努力はしても報われない
kendo.hp.jpg
第一回足立区少年剣道錬成大会(1983年)旧足立体育館(現在足立区役所)にて

私は足立区の銭湯で生まれ育ちました。小学校1年から高校に上がるまでの9年間は、足立区剣道連盟本部道場で剣道の稽古に明け暮れていました。 そのおかげで様々な大会で好成績を修めることができましたが、それ以上に剣道は私に努力と仲間とのかけがいのない思い出を与えてくれました。

  
しかしその間、中学受験のために今思えば東大でも受かるんじゃないかと思うほど勉強したのですが、早稲田をはじめ4校全敗、「努力すれば必ず報われる」なんて甘いもんじゃないという人生で初の洗礼を受けました。

すべての出会いは必然であり人生は決まっている

akasaka.hp.jpg
赤坂のイベントにてデモンストレーション(2001年)

ですがそんな私を支えてくれた人がいました。武道家であり、また哲学者でもあったブルース・リーです。中学生のとき彼の強烈な人間性と武道哲学に感銘し、彼の創始した截拳道(ジークンドー)を探究し始めました。ジークンドーは単なる武術ではなく生き方の方法であり、哲学でもあります。

三年の時を経て高校受験で早稲田に再挑戦するも再び破れ、私立市川高校へ入学。 そこである友人と出会いがきっかけで、当時はまだヒップホップなどと言う言葉は誰も知らない時代にブレイクダンスにのめり込みました。竹の子族などで有名だった原宿のホコ天には第1世代の東京Be bop crewや東京B-boysなど錚々たる顔ぶれが集まる中、いつしかストリートデビューまでしてしまいました。

dan.hp.jpg
イノサント師父とロスにあるイノサント・アカデミーにて(1992年)

やがて高校生活も終わりに近づきましたが、自分は本当は何がしたいのか、自分の夢というものがはっきりしていなかったのです。それでも先に進まなければならないので、子供の頃から興味があった建築の方へ進んでみようと思い勉強し、東京芸術大建築学科に挑戦しましたが一次試験で敗退、一浪して再挑戦したがやはり同様の結果のため武蔵野美術大建築学科へ進学しました。

その頃、日本人初の截拳道(ジークンドー)のインストラクター取得して、アメリカから帰国したヒロ渡邉氏の存在を知ったのです。今でこそジークンドーはそれなりに普及し後輩である石井東吾君がYoutubeなどで活躍してくれてるおかげで認知度も上がりましたが、当時日本ではジークンドーが習える場所はもちろんなく、正しい情報に飢えていた時代なので、高校を卒業してすぐに師事しました。

ted.hp.jpg
ブルースリーの最高弟テッド・ウォン師父と(2003年)

以来約20年間ジークンドーやフランス式ボクシング・サバット、フィリピンの総合武術カリなどの修練を積んできました。また、氏は八光流柔術の経験をもつことから武術と医学の両面を指導していましたので、その影響を受け東洋医学や手技医学に関心を持ち始めたのです。

同時期に、武術の身体能力を向上させるためにTM(トランセンデンタル・メディテーション)と呼ばれる瞑想法を始めました。TMは1957年、聖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーにより世界に紹介され、クリントイーストウッド、ビルゲイツ、ヒラリークリントン、ビートルズ、ソニー創設者の井深大、京セラ創設者の稲盛和夫など著名人も実践していることで知られており、欧米を中心に世界では約600万人が学んでいます。

TMの実践とともにインドの古代伝承医学アーユルヴェーダなどを勉強し、心と体と宇宙の関係を深く知ることによって、武術の表現、そして医学との関係についてより深い理解を得ることができたように思えます。

ミッション(使命)に気づく

やがて大学を無事卒業はしたものの、まだ自分の中で建築というものが人生を捧げられるほどまでに昇華できていませんでした。しかし、実は気づいていたのです。建築は私が一生いたい場所ではないと。

私の人生における使命は物を生み出すことではなく、自分の体を通して表現する技術(アート)で、人を喜ばせそして感動させることだったのです。武道をずっとやってきた私にとって、それは何か?人のために何が出来るのか?

プロの格闘家になり観客を盛り上げること、ボディガードになって人を守ること、それも1つの答えかもしれませんがそれは違いました。もっと間接的に武道の技術と経験を生かして人々の役に立てることがあったのです。それは、カイロプラクティックというアートによって、人々の悩みを解消し快適で豊かな人生をサポートしていくことです。

私が生業として人のためにすることは建築ではない・・・
そのことにはっきり気がついたときにはもう迷いはありませんでした。

熟考した結果、本格的に手技医学を学ぶ決意。日本武道医学会に入会し整体、カイロプラクティック、オステオパシー医学を学びました。日本武道医学会は柔道整復術を初めて正式な科目として設立した中山清先生が、西洋化しインスタント化された現代柔道整復術と決別し、日本伝来の古式技法の保存と伝承を目的として設立された武道医学の専門教育機関です。ここでは治療家の精神と身体の基礎を徹底的につくらされました。また、武医同術を身を以て知ることができたような気がします。

武道医学会付属の臨床センター、及び銀座、世田谷の整体院を経て独立し、最初は往診を中心に行っていましたが2003年に現在の場所にてスタートしました。

現在、古の技法から最新の理論や技法を学ぶため、日本最大のカイロプラクティック協会であるPAACにて、カイロプラクティックとりわけSOTの修練と研究に全力を注いでいます。今まで学んできたことの本質的な疑問、矛盾といったものが、ここである先生にお会いできたことにより解決できました。PAACへの入会が大きな成長を生み、治療家としてのターニングポイントになったのです。

これからも今の現状に満足することなく、常に進化する努力を怠らず、最良の技術で皆様のお役に立てるように日々精進して参ります。